横須賀の話ーー今村昌平『豚と軍艦』

横須賀に憧れるようになったのは、数年前の夏に早稲田松竹今村昌平『豚と軍艦』を見たのがきっかけである。その頃わたしは早稲田の学生で、就職活動をしていた。そして、恋愛に悩んでいた。

わたしはいわゆるアダルトチルドレンで、自分の人生を生きることに恐怖を感じてしまう。「決断」を避けて大学院に進んだものの、在学中芸術に身を委ねることの難しさ、そして自分の能力の無さを痛感した。そして当然恋愛に悩んでいた。わたしにとって就職活動は人生の大きな方向性を決めるもので、今思い返しても胸が痛くなってしまう。

そんな折に見た『豚と軍艦』は素晴らしい映画だった。のちにたくさんの今村作品に出演することになる吉村実子のデビュー作で、戦後の横須賀を舞台にした話だ。強く生きようとする男女の姿、そして生活は一朝一夕で変わるものではないという湿っぽさを描いた映画である。わたしは邦画ファンであるが、間違いなくこの作品が人生のベストだ。

男との生活のために自ら犠牲になろうとする女、女との生活というよりは自分の功名や名誉を優先し、それでも不器用ながら自分の人生に女を巻き込もうとする男。吉村実子が着飾って一人で出かける最後のシーンは印象的だ。また、「オンリーさん」という人生についても考えされられる。

個人的な話になるが、わたしがこの作品を見た頃に付き合っていた男性はかな変わった人であった。わたしは彼が好きで好きで仕方なかった。毎日が刺激的で精神的に安定しない日々を送っていた。そんな個人的な体験を重ねてこの映画を見てしまったのであろう。わたしは鑑賞後すぐに彼に横須賀に行きたいという話をした。しかしタイミングが合わず、しばらくの間実現しなかった。わたしの夢が叶ったのは数年後、彼が車を購入したあとであった。お金もない学生時代で滅多に遠出なんてしなかったし、そもそも彼は遠出を嫌がった。今思うと横須賀はわたしが頼んで初めて連れて行ってもらった東京都外の場所なのだ。

 


もう一つ、横須賀には思い入れがある。大学院時代に研究対象としていた村山知義は神田の生まれであるが、幼少期走水で過ごした期間があるのだ。神田に行ったとしても村山の生家を想像できないが、車で走水を過ぎるたびになぜか村山に思いを馳せてしまう。

村山はもう一つの学生時代の象徴だ。政治という文脈で捉えればまた意味合いが異なるのだろうが演劇や絵画やそういったものに人生をつぎ込んで後年ここまで腫れ物に触るような扱いをされるなんて、村山の生き方は謎に満ちている。腫れ物に触るような、というのは正確ではないが、近年でも学者たちが考えあぐね、明確な解釈を打ち立てられないのは確かである。「全ての僕が沸騰する」。わたしは彼にとっての芸術とは誰のためのものだったのか知りたい。機会があればまた研究したい。

 

走水から横須賀美術館に行く道が好きだ。横須賀美術館が好きだ。横須賀市街が好きだ。

夏になると横須賀を思い出す。