吉田喜重『秋津温泉』ー鏡の話

吉田喜重『秋津温泉』を見た。

吉田喜重の映画の映画はほとんど見たことがなくて、吉田・岡田の作品は初めて見たのではないか。噂に高い『秋津温泉』は前々から楽しみにしていたのだけれど、本当に映画館で見るべき作品だった。鏡、ガラス戸、障子--旅館に備わるさまざまな仕掛けで主人公・河本周作(長門裕之)と新子(岡田茉莉子)の心情を描く手法がすばらしい。

女中部屋と思われる旅館の一角で二人は出会いを果たす。雑然とした部屋のなかに多数の鏡が置かれる。病に犯される河本、ひたすらにあどけない新子。対照的なふたりは鏡という装置の元に映し出される。鏡を通して見える像は部屋自体の奥行きを拡げるだけではなく、彼らの〈多面性〉をも同時に予感させる。そして、新子(岡田茉莉子)の美しさ!あらゆる角度から照らし出される彼女の像はどこを撮っても隙がないようだ。

「最も緊張した時代」ののちふたりはそれぞれ別の生活を送ることとなる。秋津に残る新子(岡田)は身を焦がすようにして河本(長門)の訪れるのを待つ。待つ女と訪れる男の再会には決まってガラス戸が関与する。それは物理的な仕切りであり、見えない-そしてお互いが異なる角度から共有しているひとつの障壁である。敢えてガラス越しに撮影される二人の会話は、一方の影が一方の実像に重なる形で表現される。すなわちお互いの心に宿る相手の影が視覚的に説明される。このあたりの細かい細工はきちんとした暗闇の中、つまり映画館でしか見られないのではないかと思う。(直後の場面ではカメラの角度が変わり、ほぼ左右対称にガラスに映る像と二人の実像が並ぶ。その像がガラス越しの場面とは全く意味合いを持つことは説明に難くない。)

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変わらない秋津温泉の風景と記憶、意に反して変わっていく二人の生活。わたしは変わりたいのに変われない生活の苦しさを丁寧に描いた作品が好きだ。十七年に渡る愛憎の葛藤と、結局執着から逃れられない遣る瀬のなさを鮮やかなショットで描き切っている。

玉音放送」のあと河本(長門)の寝ている離れに走り、声をあげて泣きじゃくる新子(岡田)の姿が本当に美しかった。あの場面でわたしまで訳も分からず泣いてしまった。

普段そこまでショットや構図に拘って映画を見ているわけではないつもりであるが、今回はそういうところにばかり目がいってしまった。話の筋もさることながら長門裕之岡田茉莉子の表情、仕草に目を向けることができなかった。それだけ本作の構図が素晴らしく、観客の目を奪うものであるということなのだと思う。

映画館で『秋津温泉』と出会うことができて本当に良かった。